Story so far|大序章「香の呪縛」
星読と香ひらきの夜 〈遠鐘、夜金と苺〉 〜 三権の盤面 〈警戒の輪郭、慎重の間、決意の硬さ〉
成人を迎える夜、北の辺境では双子星に変調が現れ、王都ではセラフィナの苺香がひらきます。
けれど、新しい香とともに歩き始めたその夜から、父ダリウスの執着、聖女を選ぶ閉ざされた三夜、姉エヴァリエとの亀裂が重なっていきます。
一方、王太子アルディスのもとにも「双子に注目せよ」という警告が届き、聖女選定をめぐる失踪の記録が浮かび上がり始めます。
Ⅰ
双子星と、苺の成人
年越しを目前にしたセヴェラン砦。
星冠台で夜空を見ていた少年は、いつも並んで輝く双子星《タウライア》に、これまでとは違う変調を見つけます。
片方は強く輝き、もう片方は淡く滲む。
夜気にたゆたう香が連れてきたのは、誰も覚えていないはずの誓い。
――星々の底に沈んでいた契りが蘇る。
少年の胸には、赦されない過ちと、断たねばならないものへの痛みも残っていました。
「……変わってくれなきゃ……俺は赦されない。――だろう?」
さらに星の奥では、成人の刻を待つ一つの香がかすかに動いています。
少年は夜金香から一羽の幻鳥を生み出し、
「……伝えて。あの人に」
と送り出します。
幻鳥はひとひらの祈りを抱き、南西――王都アストリアへ飛び立ちます。
同じ夜、王都の神殿島では、セラフィナが成人の刻を待っていました。
今夜、自分の香が大人の宿香としてひらけば、今まで当たり前だった人との距離や触れ方も変わっていく。
期待と恐れを抱えながら、セラフィナは神殿の鐘をひとつずつ数えます。
やがて聖鐘が夜空を貫き、暦は新しい年へ移ります。
香歴千五百二十三年 椿静月一日 零刻。
王国の統一暦が示す、成人の刻。
セラフィナの苺香がひらきます。
温室で守られているような、やさしい甘さ。
怖さはまだ残っていました。
それでも、自分自身から生まれた香を確かめたセラフィナは、
「これが……わたしの香……」
と喜びます。
これからは、この香と一緒に歩いていく。
そう思えた成人の夜でした。
けれど、その半刻後。
父ダリウスが、守りの厳しい第三姫寮環へ現れます。
セラフィナを神殿から連れ戻そうとする父は、香を確かめるように喉元へ触れ、亡き母リリカの名を呼びます。
自分ではなく、苺香の向こうに母を見ている父。
セラフィナは恐怖を覚えながらも、その手を拒みます。
「わたしは――わたし自身です」
「お母さまでは、ありません」
ダリウスは、セラフィナが自分を拒めることに驚きます。
そして去り際、
「お前の香は――危うい」
「私だけの香でなければ、お前は神の証として――世界に奪われる」
と言い残します。
成人の喜びのすぐ隣に、父への恐怖が残りました。
Ⅱ
香契の空白と、自分で選んだ答え
新年の朝。
セラフィナは昨夜の影を抱えたまま、三儀式告知の典へ向かう支度をします。
父からは成人祝いとして冬桜の髪飾りが届いていました。
美しい贈り物でしたが、昨夜のことを抱えたまま父の細工で自分を飾ることはできず、セラフィナは身につけないことを選びます。
控えの間には、同じ年に成人した香姫たちが集まっていました。
皆が香ひらきの夜を喜び合う一方、セラフィナには父に触れられた恐怖が残っています。
そこへテオドールが現れ、昨夜生じた香の結びが《結香》として正式に認められたことを告げます。
神に認められた愛。
周囲の香姫たちは祝福に沸きます。
けれどセラフィナは、同じ成人の夜に自分が経験したことを重ね、素直に同じ喜びへ加わることができません。
やがて三儀式告知の典へ向かうため、香姫たちの列が動き始めます。
そのとき、セラフィナだけがテオドールに呼び止められます。
見せられたのは、父ダリウスが神殿へ送った、セラフィナの聖女候補辞退を求める香契書でした。
父の印はある。
けれど、セラフィナ本人の意思を示す香契印がありません。
本人の香契印がない以上、辞退は成立しない。
テオドールから自分自身の意思を問われ、セラフィナは答えます。
「わたしは……辞退したくありません」
「……戻りたく、ないのです」
怖さは消えていません。
それでも、誰かに決められる前に、自分の望みを自分の声で告げることができました。
神殿はその意思を記録し、父から届いた書を受理せず、調停府へ返送することになります。
ただしテオドールは、ダリウスがこれだけで止まるとは考えていません。
正式な保護移送の通達が出れば、神殿だけでは長く防ぎきれない。
セラフィナは父が、父親としてだけではなく、調停府長官や公爵として持つ力まで使って自分を動かそうとしていることを知ります。
それでも今は、自分の足で典礼へ向かいます。
Ⅲ
閉ざされた三夜と、姉妹の亀裂
大広間では、百名の香姫から五十名の聖女候補が選ばれます。
最初に呼ばれたのはエヴァリエ。
ルセリアをはじめ、次々と候補の名が告げられていきます。
けれど、セラフィナの名はなかなか呼ばれません。
父が別の手を回し、自分を候補から外したのではないか。
その不安が膨らむなか、四十九人目までが呼ばれます。
そして最後に、
「セラフィナ」
と名が告げられます。
セラフィナは五十人目の聖女候補として印を受け、自分の意思で選定へ進む道を得ました。
続く高位拝殿では、十二神と、それを地上へつなぐ香塔・神殿・王権の三柱について説かれます。
さらに王カシウスから、二十三年にわたって聖女が現れていないことが語られます。
今年こそ聖女が現れ、民へ安らぎをもたらしてほしい。
その願いを背負う候補たちの前には、王太子アルディスと、その両翼であるクレヴァン、イリオスも立っていました。
続いて告げられたのは、聖女を選ぶ三夜。
第一夜《星禊》。
第二夜《星語》。
第三夜《星結》。
三夜を導くのは聖女選定局だけで、他者の立ち入りは許されません。
王でさえ扉の前で止まる、閉ざされた儀式です。
その典礼が終わったあと、セラフィナはようやく姿を見せたエヴァリエへ駆け寄ります。
一緒に聖女候補になれたことを、姉も喜んでくれると思っていました。
けれどエヴァリエは、セラフィナの苺香に「翳り」「穢れ」があると告げます。
昨夜、父を受け入れたのだと決めつけていました。
セラフィナは否定しようとします。
けれど言葉がうまく届きません。
「私とあなたは、もう違う道よ」
「清らかな私と、汚れたあなた。……その差は、もう戻らないのね。悲しいわ」
冷たい言葉を残し、エヴァリエは去ります。
薔薇香には、まだ完全には冷えきらないものが残っていました。
それでもセラフィナの心には、姉が置いていった棘が刺さります。
Ⅳ
双子への警告と、三権の盤面
典礼後、アルディスは父王カシウスから、聖女候補へ向けた態度を咎められます。
候補を見る目が鋭すぎる。
祝いの言葉もなかった。
王太子として聖女候補を敬え。
アルディスは大主座のいる場で父と衝突することを避け、頭を下げます。
けれど、候補の列を注意深く見ていたのには理由がありました。
その朝、レイヴンから幻鳥で、
「双子に注目せよ」
という警告を受けていたのです。
継星の館へ戻ったアルディスは、クレヴァン、イリオスと話します。
そこで警告の内容が、
「双子の聖女候補に注目せよ。選定に立ち合い、守れ」
というものだったことも語ります。
なぜ双子なのか。
何から守るのか。
詳しい理由は分かりません。
それでも、レイヴンの星読を軽視できないアルディスは、リュミエール家の双子――エヴァリエとセラフィナを注意して見ることにします。
さらに翌日の迎暦評定に備えて情報を整理するなか、クレヴァンから聖女選定をめぐる不審な記録が示されます。
第三夜《星結》を終えた直後に行方が途切れた候補が、直近四年で四名。
それとは別に、七年前と三年前にも、候補や香姫が届を残して消えています。
手続きそのものは整っている。
だからこそ、追いにくい。
アルディスたちは、すでに起きている失踪を念頭に、翌日の評定で三権の反応を確かめることにします。
第三夜へ自分が出れば、父王と正面から衝突する。
そこでアルディスは、まず第二夜へ関与できる形を作る方針を決めます。
誰がどの夜へ正式に立ち会うかは、まだ決まっていません。
双子への警告。
候補者の失踪。
翌日初めて自ら座る三権の評定。
アルディスたちも、聖女選定の内側へ目を向け始めます。
Threads left behind