Story so far|大序章「香の呪縛」
候補たちのさざめき 〈梅花の澄、忍冬と苺の和、噂の酸〉 〜 星語の異変 〈燭火の揺れに溶ける苺の香、甘さに潜む冷え〉
三夜を目前に、候補たちの間には期待と噂が行き交い、セラフィナもまた、自分の神格と香に向き合い始めます。
青椿神へつながる兆し。父によって遠ざけられていた祈り。そして《星禊》に残った記憶の空白。
やがて第二夜《星語》で、セラフィナとアルディスは初めて互いの瞳を見つめます。けれど、閉ざされた儀式の内側で起きた異変が、三夜の規そのものを揺らします。
Ⅰ
候補たちのさざめき
《星禊》を翌日に控えたセラフィナは、第三姫寮環の庭でルセリアたち聖女候補と過ごします。
すでに三夜を進んでいる候補たちから儀式の話を聞くうち、話題は三儀式告知の典で見たアルディスへ移ります。
アルディスが典礼の最中、白金の髪の少女を目で追っていたという宮中の噂。
さらに、セラフィナとエヴァリエの名が王太子妃候補として評定で挙がったという話も広がっていました。
苺香は人を惑わせるのではないか。
香の機嫌が変わりやすい。
ダリウス長官の娘なら政治の力もあるのではないか。
そんな言葉もセラフィナへ向けられます。
けれど、ルセリアたちは彼女の側へ立ちます。
やがて話題は、それぞれが体験した三夜へ移ります。
《星語》の記憶がところどころ曖昧だったと話す候補もいました。
祈りを始めてから、幕がかかったように記憶が薄れた者。
遠くで起きたことのように感じた者。
それでも候補たちは、その体験を恐ろしいものとしては語りません。
セラフィナは、
「どれも怖くないって聞けて、嬉しい」
と安堵します。
そして翌日の《星禊》を前に、四人はセラフィナへ手を差し出します。
「帰ってきたら、手を……ぎゅっと。合図にしましょう」
セラフィナも、その手へ自分の手を重ねます。
神の前へ立つ前に、自分を待ってくれる人たちがいる。
そのことが、重くなっていた儀式を少しだけ近いものへ変えてくれます。
そのとき、小径をエヴァリエが横切ります。
以前よりも近づきがたく、遠い光のように見える姉。
周囲からは、
「聖女画のような美しさ」
と評されます。
セラフィナも、誰より誇らしく思うはずの姉が、手を伸ばしても届かない場所へ遠ざかったように感じます。
それでも、
「……ちゃんと戻ってきて、ここでまたお話しします」
と候補たちへ告げます。
姉が遠く見えても、自分は今の自分のままで一夜を迎えたい。
希望と恐れの両方を抱えたまま、翌日の《星禊》へ進みます。
Ⅱ
銀律と、審問の秤
同じ日の昼前。
セラフィナは香塔の天文監カミュールを訪ねます。
元旦の夜、父ダリウスから受けた香への干渉について話すと、カミュールは銀律香で、苺香に残っていた傷を癒します。
「君の香は、美しい」
父から「危うい」と告げられ、自分の香そのものを恐れかけていたセラフィナへ、カミュールはそう伝えます。
そして、現在の星が示しているセラフィナの神格は、おそらく青椿神だと告げます。
さらにセラフィナが神殿へ入った頃、ダリウスが香塔へ働きかけていたことも分かります。
青椿神に関わる務めから遠ざけること。
青椿神の兆しが現れても、黄菊神として記録すること。
そう求めていました。
カミュールは、青椿神との結びが深まること自体を否定しません。
ただし、その神格には深い瞑想へ沈みやすい性質があると警告します。
深い瞑想。
幻覚。
時間感覚の喪失。
三夜の最中に意識が遠のきすぎたなら、必ず誰かへ申し出るよう約束させます。
夕刻。
今度は神殿審問部のアゼルが、第三姫寮環のセラフィナの部屋を訪れます。
聖女候補としての品行査察です。
部屋に置かれた物や日常の習慣をひとつずつ確認していくなか、アゼルの注意は左手首の腕輪へ向かいます。
ソレイユのたてがみで編まれた腕輪。
そこには、昼にカミュールから受けた銀律の余韻が残っていました。
アゼルはその気配を捉え、
「……銀律、か」
と呟きます。
腕輪が心の支えになっていること。
馬や家族への情が信仰を曇らせないか。
質問は次第に踏み込みを深めます。
テオドールやレナートが制止し、最後にアゼルは、
「現時点、問題なし」
と記録します。
けれどセラフィナには、自分の言葉を記録へ閉じ込められていくような不快さが残りました。
Ⅲ
星禊と、残った空白
その夜。
翌日の《星禊》を前に、セラフィナは一日の出来事を思い返します。
候補たちに差し出された手。
カミュールの銀律。
青椿神という新たな可能性。
アゼルの査察。
不安は残っています。
それでも、
「わたしは、わたし」
と心に結び、翌日の儀式へ備えます。
第一夜《星禊》。
セラフィナは秘密の水路を通り、香塔の高塔へ向かいます。
聖女塔の前室では、王権代表としてカシウスが待っていました。
セラフィナは王の前で礼を取り、候補としての誓いを捧げたあと、一人で儀式へ進みます。
聖泉の水。
星蜜。
祈り。
清めが進むにつれて星の光が白く滲み、意識も深く沈んでいきます。
そして翌日。
セラフィナの中には、昨夜の記憶に空白が残っていました。
水の感触。
祈りの言葉。
何かへ手を伸ばしたような感覚。
けれど、一番大切だったはずの瞬間だけが抜け落ちています。
候補たちも、三夜の中で記憶が曖昧になることがあると話していました。
カミュールからも、青椿神の祈りでは深い瞑想へ沈みやすいと警告されています。
それでも、自分の空白だけはどうしても気にかかります。
さらにセラフィナは、これまで自分が黄菊神へばかり祈り、青椿神にはほとんど言葉を向けてこなかったことへ思い至ります。
父によって、青椿神から遠ざけられてきた。
そのために祈りが届かなかったのではないか。
不安を抱えながらも、
「……神さまは、優しいはず」
と、遅れてでも青椿神へ祈りを捧げます。
そしてテオドール、ピナ、ソレイユとともに神殿島を出て、第二夜《星語》が行われる王宮へ向かいます。
Ⅳ
苺色の瞳と、星語の異変
《星語》の前室では、アルディスが王権代表として候補たちを待っています。
過去の失踪。
レイヴンから届いた双子への警告。
それらを抱えながら、一人ずつ候補を見送ります。
やがて最後の候補として、セラフィナが現れます。
セラフィナはアルディスの前で立礼を取り、半跪へ。
王太子へ誓いを捧げます。
アルディスは、その礼を解かせるように肩へ手を置き、
「もうよい」
と告げます。
初めて、二人は目を合わせました。
けれど、その直後。
ヴァルドが近づくと、セラフィナの肩がわずかに横へ逃れます。
アルディスだけでなく、イリオスもその動きを捉えます。
セラフィナは扉の前で一度振り返り、アルディスの姿を確かめてから《星語》へ入っていきます。
同じ頃。
王都にあるリュミエール公爵家の館では、ダリウスが神殿から返された書状を見つめています。
そこにあるのは、
「本人香契なし」
の一文。
さらに、セラフィナが神殿へ入った年、ダリウス自身が第三姫寮環の一角を造り替えさせていたことも分かります。
廊の先に小扉。
外壁沿いへ続く密階。
部屋の割り当ても自ら決め、必要になればセラフィナのもとへ辿り着けるようにしていました。
聖女になれば王の伴侶。
聖女になれなくても王太子妃候補。
どちらへ進んでも、自分の手から離れていく。
その思いに囚われ、
「渡す気はない。誰にも。たとえ神にすら」
と執着を深めます。
その頃、《星語》の儀式では異変が起きます。
厚い扉の向こうから、
「いやあ!!」
というセラフィナの悲鳴が響きます。
三夜の規では、儀式中に扉を開けることは許されません。
それでもアルディスは、規則を破ることを承知で扉を開け、内側へ踏み込みます。
祭壇では、意識を失ったセラフィナをヴァルドが抱えていました。
グレイオスは、候補の香を最大限に引き出し、神への捧げを深めている最中だと説明します。
けれど、濃くなった苺香には安らぎがありません。
やがてセラフィナがわずかに目を開き、喉元を庇うように手を置きます。
「……黒い影が……助けて」
その言葉を聞いたアルディスは、
「離れろ」
とヴァルドへ命じます。
セラフィナはその場から運び出され、ピナも同行します。
その一行を、石影にいたイザークが驚いたまま見送ります。
アルディスが向かったのは、神殿にも香塔にも容易には踏み込まれない継星の館。
封星の庭にある、正妃の香室です。
そこへセラフィナを保護するため、
「王太子妃……候補として保護する」
という形式を取ります。
セラフィナ本人から、その立場への承認はまだ得ていません。
責任は自分が負う。
そうして第二夜《星語》は、中断されます。
Threads left behind